あのね、どうしても 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で を買いたくないんですが、だれか貸してくれないでしょうか。
OKという人が現れたら、声の文化と文字の文化 を、読んだ後にですが交換してもいいです。
いい取引だと思うんだけどなあ。
あのね、どうしても 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で を買いたくないんですが、だれか貸してくれないでしょうか。
OKという人が現れたら、声の文化と文字の文化 を、読んだ後にですが交換してもいいです。
いい取引だと思うんだけどなあ。
超いまさら感が漂いましたか? そう、この本は2年ぐらい前に翻訳されたもので、メディア論の話を少しした際にいしたにさんにお勧めされて、ようやく買った本です。ほとんど通勤電車の15分だけを使って読んでいたので、読了までに3か月ぐらいかかりました。
私が大学生だった頃には入手するのにかなり労力が必要だった情報が、手元でいつでも見られるようになった今日。しかし、有り余る情報がその量ゆえにこぼれていったり、「近いけどぴったりじゃない」検索結果をつかまされたりすることもあります。
すでに両手で持ちきれないほどの情報を浴びるように使っているのが現在の私たちだとしたら、あふれかえる情報をいかに「見つけて」手玉に取っていけるのか、メディア論がかつて現代のメディアを予感したように、この本が予言しているのではないかと思えます。
良い本を紹介してくださってありがとうございました>いしたにさん。
投稿情報: 15:15 カテゴリー: 書籍 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
英語復習用に眺めてから寝るようにしています。
村上式シンプル英語勉強法で紹介されていた本。バイリンガル版もあったけど、あえてモノリンガルで。
私の場合、発音やヒアリング力よりボキャブラリーの方が相対的に問題なので、これくらいの辞書から入った方がいいみたい。健康、医療や犯罪の英語など、いざというときに必要な語彙が豊富なのもよいです。
投稿情報: 18:30 カテゴリー: 書籍 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
アマゾンに薦められるがままに本を買っていたら積読が増えてきました。
が、性懲りもなくアマポチ。今度は大好きなワンカップPさんのおすすめ本です。
きき酒師がつくるおつまみ一行レシピ (vela BOOKS)
ニラ玉
茹でて切ったニラと、玉子の黄身を醤油で和えます…たしかに、この一行読めば作れるよ・・・すげえ。
っていうか、うまそうだ。
そうです。お菓子を作ってるならともかく、仕事から帰ってきてちょちょっとなんか作ろうっていうのに、手順が5段にも6段にもなってたら、1回で覚えられません。おちおちお酒も飲んでられないじゃないですか。
在庫がアマゾンになかったので、しばし待機。楽しみー。
またまたご無沙汰しています。
最近何度目かわかりませんが、英語のやり直しをしています。
どうもボキャブラリーが少ないのが弱点らしいと分かったので、そっち方面を強化中。
銅メダルコースは思ったより楽勝でした。日本語→英語がスムーズに思い浮かぶ! で、調子に乗って銀メダルを今チェックしていますが、これは歯ごたえがありすぎる。
さっそく飽きてきたので次は数学をやり直そうか、気象学をやり直そうか、とーか言ってると何にも進まないのよねえ。
いずれにせよ、現在再インプット強化月間中です。復習に燃える日々。
あーアウトプットも出さなくちゃそろそろまずいっすよね。てへ。
なんか気づいたら4冊も。
ドラマをやってるそうで。そっちは全然見られる時間じゃないので、見てないんですが、土日にやる番宣のせいで、原作が気になってしょうがない。で、買いました。なんかね。呼んだ? っていうか。久々に「本に呼ばれた」感があります。昔、書店員だった頃はしょっちゅう呼ばれて本に押しつぶされそうになって生活してましたけれども。
こいつは実はAmazonで3ヶ月ぐらい前から「おすすめ」されていて、「でもなー、こういうのって立ち読みしないで買うと“絶対に”はずすんだよね」と思って抵抗を続けておりました。立ち読みしてみたら、まあまあだったので購入。口語で物語仕立ての事例で解説、なので読みやすい、といえば読みやすいんだけど、かさ増して1400円はちょっとズルイよなー、と思いつつ……。
エンジニアのY姫に教わったブログがなんかすごくまとまって本になっちゃったよ。レジ前平積みで見つけて即買いです。本屋からの帰りの電車でニヤニヤしながら読んでしまいました。みね子、やはりステキすぎです。月曜に会社に持っていこう。
ほかにレジ前にしあわせ脳練習帖とか積んであって表紙が松苗あけみだー、ってふらふらとちょっと引き寄せられたりしましたが、購入にはいたらず。なんか知らないけど「幸せ脳」って最近はやってんの? Amazonで検索かけたらとてもたくさんの本が出ているのですね。「しあわせ脳を手に入れてしあわせにならなきゃ」って発想自体があれもほしいこれもほしいから発生している「不幸せ脳」状態で、それを「練習」って、そもそもしあわせ脳から遠ざかってんじゃん、と立ち読みの3分で得た知識で激しくツッコミつつ、山に戻してみました。おてての皺と皺を合わせたら、節と節も合うもんなんだって。(ー人ー)ナムー
投稿情報: 17:43 カテゴリー: 書籍 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
ラストに向かう過程で、いろいろな人と状況を盛り込みすぎて、ちょっと散漫な印象も残ったが、この人の書くミステリーがいいところは、いつも、どんなキャストに対しても愛があふれているところ。
誰でもが心強く生きていけるわけでもないし、誰でもを信じられるわけでもないけれど、それでもみんなが誰でも何とかして幸せになる方法はないかしら、といつも思わされる。
ボーダー(境界例人格障害)の女の子が出てくるのだけれど、うまく描かれている(読んでてざらつく)ので、かなり読みづらい思いをした。自分の人の好さは、ボーダーと破壊力の点では変わらない。紙の裏と表だ。
投稿情報: 15:25 カテゴリー: 書籍 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
読了して今日返しに行きました。
プリンシプル。彼が守ろうとしたものは国体とか筋とか道理とかいう言葉で単純に表せない何かだったのだと思います。私たちが仕事をする上で、企業の体面や筋や道理だけでは、何かが欠けてしまうのと同じで。
投稿情報: 01:28 カテゴリー: 書籍 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
小学校最後の年に京都から東京へ来てすぐ、「ありがとう」の東西差についてノートに書きつけたことがあった。「ございます」を付けておけば、とりあえず丁寧、付いてないのはぞんざい、という周りの感覚に、子供らしい違和感があったんだろう。
「さゆり」を読んでいると、京都イントネーションを思い出すわけだけど、これは自分の子供のころに形成された感情には非常に「のる」言葉で、ふだん使っている言葉とは違うんだと改めて認識させられる。ふだんの標準語は、理屈が勝っていて、スタティックで、これで感情を何とか表現しようとするのがそもそも難しいんだな、と思う。
実際には「さゆり」に出てくる祇園ことばは京都弁とも違っていて、感情の言葉でもありながら、それをオブラートにくるむ理性の言葉でもあって、なんや難しいなぁ、と思うが、これってつまり「感情を扱うビジネス」で使う言葉だからそうなるんだよねぇ、たぶん。
そう考えるとそもそも、なんでそんなに「情」と「理」をハッキリ分けちゃうんだろう私、ということになるんだけど、やはり私の中でどこかで分けない とやりくりがつかないところがあって、それはもしかすると、元々「うち」と「外」とで言葉の使い分けをしてきたところから始まっているのかもしれない。し かも、大人としての関西弁、京都弁をろくに育てられずにきてしまっているので、余計にややこしい。ふだんものを考えるときは京都弁で、と決めればいいとい うものでもないわけだ。
深いところにある大切なことを、まっすぐに、伝わるように伝えるのは、それでなくても難儀なことなんだけれども、これも訓練なんでしょうかねぇ。気 持ちが大きく動くときほど、伝わらなかったり、逆さに伝わったりしているような。「英語」と「日本語」とか、比較的小さい頃から使い分けをしてきた人なん て、どうされてるんでしょう?
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