花、それも花そのものというより、花の木として生きるイメージが、このところ大きくなってきています。三碧の年、四緑の月と木生の強い、春の生まれだからでしょうか(日は二黒土星の生まれで、池波正太郎によれば人を支える裏方、母や妻の気が強いはずなのですが……)。
何かで気持ちが塞ぐとき、私の中心に花の木の幹がすっと入って、背筋が伸び、樹液がきちんと指先まで流れるのを感じ、次に咲かせる花のために生きようと思うことが最近多いのです。散っても、またもっといい花を咲かせればいいのだと、やっと思えるようになってきた、ということのようです。
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