今日は靴をたくさん磨きました。
神泉にあるサンワ靴店で、修理していただいた靴たちが帰ってきたので、そのソールの面倒を見るついでに、うちにある靴たちをすべて並べて、順番に手入れしていきます。
いい靴をたくさん持っていることの利点は「靴を磨こう、手入れをしよう」という気になることで、前夫にはそれはそれは「靴はいいのを買え」、と叩き込まれたものでした。ひとつひとつ、靴を磨いていくと、だいぶ放置していたため、やれてしまったところや弱点がよく見えて、それを、やっぱりひとつひとつ繕っていきます。私の場合、特に右の小指の部分にテンションがかかりやすく、皮が広がって破れたり、底と皮の間にスキマができたりしがちです。
終わった頃には、ピカピカになった靴と、明日また続きの手入れをする靴とが並んで、壮観です。久しぶりに履いていきたくなった靴は皮底で、明日の天気も気になります。
ああ、こうやってみんなは生きてるんだなあ、生きるってこういうことなんだ、と今さらながらに思いました。
使い捨てたくない気持ちになるような、いい靴を買うために仕事をして、そのいい靴を修理に出すために、身ぎれいにしてオシャレして、気持ちのいい休日にお店まで出かけていく。それがまた楽しい、ということや、靴を磨き終わった爽快感と明日のお天気の心配を胸に抱くワクワク感がどういうことか、考えつくこともないぐらい、休まずに生きてきてたらしい、と気がついて、自分でちょっとビックリしています。
因果応報ということを最近よく考えていて、これは「悪いことをするから罰が当たる」ではなくて、「物事には必ず原因と結果があり、結果は終わりでなく次の結果のための始まりに過ぎない。ってわけで次どうすんの?」、という言葉ととらえています。そっちのほうが実は重いんですが。選んでも選んでも生きている限り、きりがない。100%正しい選択肢なんてないけど、どんどん決断するしかない。でもそういうとき、がんばって遊びに出かけて違う観点を手に入れる! とかしなくても、ふっと靴を磨いてみたりすることだけで、また何かの原因になって、いい結果を生むのって、すごく素敵なことだと思いました。
今日やった靴磨きが、靴がピカピカになる以上の明日のhogeになる、なんて、思ってもみなかったのですが、選び取らなければならないことや課題が多いからこそ、そういうことに気づいたのかもしれません。最近、特に休みの日にはできるだけ、おうちでごはんを作ってみるようにしているのですが、そういうことも、何かいいことを作り出す気がします。簡単でちょっとした、小さな修行が、生きることにすごくつながっていることを見つけた気分です。
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