いつもいつも毎年毎年、花を見つけられずに咲いたことを知ります。
花の場所が分かるのは、はじめに匂いをかいで、ようやく1週間ほど経ってから、ということが多いですね。
沈丁花やくちなしもそういうところは似てますが、やつらは花も目立つからすぐ見つけられるんだよね。
芳香剤の匂い、とか言う人もいますが、私は匂いも、色や小さいあの形も、わりと好きです。
投稿情報: 15:01 カテゴリー: リリカル | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
花、それも花そのものというより、花の木として生きるイメージが、このところ大きくなってきています。三碧の年、四緑の月と木生の強い、春の生まれだからでしょうか(日は二黒土星の生まれで、池波正太郎によれば人を支える裏方、母や妻の気が強いはずなのですが……)。
何かで気持ちが塞ぐとき、私の中心に花の木の幹がすっと入って、背筋が伸び、樹液がきちんと指先まで流れるのを感じ、次に咲かせる花のために生きようと思うことが最近多いのです。散っても、またもっといい花を咲かせればいいのだと、やっと思えるようになってきた、ということのようです。
投稿情報: 22:15 カテゴリー: リリカル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
日本一標高が高い(と思われる)無線LANフリースポットからライブでお送りします。
投稿情報: 18:16 カテゴリー: リリカル | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
iPod nanoのChrisが、おとといから行方不明です。
何もおまえ、新しい8GのiPodが出たからって、すぐに捨てたりしないのに。
てゆか、新型iPodが出るってことも忘れてたぐらいなのに。。。
毎朝、おまえの歌に励まされたり、涙ぐんだりしながら、会社に行ってたんだよ?
このまま帰ってこなかったら、本当に新しい黒い8GのiPod買っちゃうよ?
いったいぜんたい、どういうタイミングで消えちゃうんですか。
……とりあえず今日は会社にずっと置いてたSteve(初代のiPod mini:シャンパンゴールドのやつ)に久しぶりに充電して、いっしょに帰ってきました。んー。やっぱりSteveはゴツイんだよねぇ、今となっては。
このままChrisが見つからなかったら、新しいの買うしかないかしら。。。ホントにわざと失くしたんじゃないんだからねっ。
投稿情報: 03:44 カテゴリー: リリカル | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
日本から出場した大地洋介さんが優勝したそうだ。夜中のNHKニュースで知る。
投稿情報: 00:43 カテゴリー: リリカル | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
ひねってくれました。
かわいい。。。
どうでもいいけど、このデザインテーマ(Blooming)で、PostPet飼ってる人はたくさんいるだろうけど、CNET & ZDNet を貼ってる人はそうそういないんだろうなー、とこのエントリ書いてて今さらながらに思いました。いたらトラバかコメントください。友だちになれるかもしれない。。。気がする。
投稿情報: 04:13 カテゴリー: リリカル | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
小学校最後の年に京都から東京へ来てすぐ、「ありがとう」の東西差についてノートに書きつけたことがあった。「ございます」を付けておけば、とりあえず丁寧、付いてないのはぞんざい、という周りの感覚に、子供らしい違和感があったんだろう。
「さゆり」を読んでいると、京都イントネーションを思い出すわけだけど、これは自分の子供のころに形成された感情には非常に「のる」言葉で、ふだん使っている言葉とは違うんだと改めて認識させられる。ふだんの標準語は、理屈が勝っていて、スタティックで、これで感情を何とか表現しようとするのがそもそも難しいんだな、と思う。
実際には「さゆり」に出てくる祇園ことばは京都弁とも違っていて、感情の言葉でもありながら、それをオブラートにくるむ理性の言葉でもあって、なんや難しいなぁ、と思うが、これってつまり「感情を扱うビジネス」で使う言葉だからそうなるんだよねぇ、たぶん。
そう考えるとそもそも、なんでそんなに「情」と「理」をハッキリ分けちゃうんだろう私、ということになるんだけど、やはり私の中でどこかで分けない とやりくりがつかないところがあって、それはもしかすると、元々「うち」と「外」とで言葉の使い分けをしてきたところから始まっているのかもしれない。し かも、大人としての関西弁、京都弁をろくに育てられずにきてしまっているので、余計にややこしい。ふだんものを考えるときは京都弁で、と決めればいいとい うものでもないわけだ。
深いところにある大切なことを、まっすぐに、伝わるように伝えるのは、それでなくても難儀なことなんだけれども、これも訓練なんでしょうかねぇ。気 持ちが大きく動くときほど、伝わらなかったり、逆さに伝わったりしているような。「英語」と「日本語」とか、比較的小さい頃から使い分けをしてきた人なん て、どうされてるんでしょう?
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